2017-01-11
……まあ、今更かよ?というこの遅れに遅れた時点で、薄々おわかりかとは思うんですけど。
惜しい。
できることならこの監督に最低でも三話構成の最終回別枠と、予算と、その他諸々の制作資源を差し上げたかった。
各シーンごとの映像の見せ方はアニメシリーズで何度と無く見せられた色の鮮やかさ、構図の切り方、間合い共々素晴らしい出来で──、
だからこそ、話の内容がズタズタなのがとても気にかかる。
わかります、どうしても削れないシーンだけを残した結果だということは。だから伏線でつないできたことも、説明は最後に持ってくるつもりだった話も、削らざるを得なかったのだと。
そしてその結果として削った話を入れるためにシーンごとの時間を削ったら、おそらくアニメ自体の個性が死ぬ。
シリーズ構成の失敗だと言わば言え。それでもおそらく当初の予定より膨れ上がった話を、たった15分増えただけの枠に詰め込んだところに無理がある。
1を100にする人に、50を作れというのは難題なんですよ。
その為に、「大崩落」時のマクベス家の動向については大きく削られた。
絶望王との出会いも契約内容も説明不足。鍵となりそうな「マザー・メアリー」という単語の説明も無い。
その日が万聖節である必要性も削られた。
レオがホワイトの元へ行かなければならないと悟る過程も説明されない。
よって、クラウスがレオの到着を待つ時間稼ぎをする理由も説明されない。
能力だけではない、ライブラがレオを仲間に入れた訳という、伏線として入れられたに相違ないクラウスの台詞も未回収。
あったはずでしょう、あったんだよな?切らなくちゃ収まらないだけのどうしようもない事情があったんだよな?
そう食いつかずにいられない。
おそらく本来のスケジュールが一度切れ、やり直しの再スケジュールで間があいた所為で忘れられた伏線もあると思います。
タイトルも「悪魔を憐れむ歌」から「Hello, world!」に変更になっているので、脚本とコンテも全部やり直したのは想像がつきます。
しかしその打ち切られた話の動線に引っかかっていると、見せ場中の見せ場でレオの絶唱が伝わらない。一番いいところなのに。
演出は素晴らしかった、演技も申し分無い、だが響かない。
「光に向かって一歩でも進もうとしている限り 人間の魂が真に敗北することなど断じて無い」
原作でもここ一番で持ち出されてくる印象的な「クラウスの」台詞だけに、その台詞を「レオが」引用してくるまでの過程が説明不足だと、唐突さが増してしまうんですよね。
原作で使われたシーンがなまじ1回だけでは無いだけに、今見ているアニメの筋に原作のシーンが無理につなげられてしまう印象を受けました。
ちゃんと原作を借景にして、アニメならではの世界に一層の広がりを持たせられた筈なんですよ、オリジナルの筋を丁寧につなぐだけの尺があれば。
打てば響くあの映像のテンポの良さで、その辺のリンクをじっくり味わいたかったなぁ。
だから、惜しい。
シーンごとの演出が、むしろ鬼気迫る見事さであるだけに、その橋渡しが十分でないのが心底惜しい。
この惜しい部分を以てシリーズの評価を下げようとは思わない。
これこそが作品の世界という美しい背景にカメラワーク、そして声。垢抜けたキャラクターデザイン。
あの妥協無いイメージを根気強く打ち立ててくれたからこそ、他の監督さんでも第二期を楽しみにできる。
そしてできればいつかマクベス兄妹と絶望王の話をきちんと最後まで詳しく聞けることを、楽しみにしています。
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